「私的大河ドラマ論『麒麟がくる』によせて」~その壱~
2020年01月16日
あり得ない事態から、本放映が2週遅れとなりながらも、もぉ~いくつ寝~る~と~♪の所まで来た、郷里・美濃ゆかりの武将“明智光秀”を描く、本年大河「麒麟がくる」。
実はワタシ、何を隠そう、隠れ光秀ファンであります。その昔(かなり昔です)、1973年の大河は、ここ美濃を舞台とした司馬遼センセイ原作の「国盗り物語」でありました。 この時、光秀を演じた近藤正臣(マッチじゃありません)が、とても良かったのです。元来、正臣ファンのワタシは、氏の演じるこの悲劇の武将にすっかり興味を覚えたものです。
あれから苦節47年、遂に明智光秀が主人公となる大河が制作、放映されます。これは当然、期待せずにはおられません。 例年の大河を例にとると、主役級の人物は、研究家諸氏にとっても、自身の新説が注目を浴びる、よき機会にもなるため、つとに研究が進む傾向にあります。 出生地、生年、父母、妻子、そして本能寺の変への動機・・・・。不明点ばかりの、謎多き武将の研究が、一層深まることを心底願っています。